月報「流山」より

「伝道の原点」

2018年9月 牧師 宗形和平


 「イエスは十二人を呼び集めて、すべての悪霊を制して病気を癒やす力と権威を、彼らにお授けになった。そして、神の国を宣べ伝え、病人を治すために、こう言って彼らを遣わされた。…さて、使徒たちは帰って来て、自分たちがしたことをすべて報告した。」  

ルカの福音書 9章1-2、10a節


悪霊を制し、病気を癒す力と権威が授けられて、十二弟子が神の国を宣べ伝えるために出かけてゆきます。イエス様から離れ、自分たちだけで。現在にまでつながる福音を委ねられた人々が遣わされてゆくという伝道の原点です。

 ここには伝道の原点があるのですが、この時と今とでは違う点もあります。弟子たちは福音宣教と同時に、病の癒し、悪霊追放の権威も与えられて遣わされていますが、それらは今、私たちに与えられておらず、時にもどかしさも感じます。今、私たちは苦しみにある方とともに、主のみわざを期待しながら切に祈り、時に奇跡としか言いようのないことを経験させていただけるのですが。

 

 ここで気づくのは、この出来事の詳細が記されていないことです。「使徒たちは帰って来て、自分たちがしたことをすべて報告した」とのみで、弟子たちがどのように働き、どのような実を結んだのか詳しくは記されません。それはなぜなのでしょう。それはこの時と今との間にイエス・キリストの十字架と復活があるから。弟子たちは、十字架の死によってもたらされる救いをこの後、知らされることになります。あまりに惨めな、無力な姿をさらした神の独り子、それがイエス・キリストでした。けれどこのイエス・キリストの十字架が、神の国の栄光のあり方を教えてくれたのでした。

 

 私たちは神の偉大な御力、奇跡をなせる全能なる神を信じます。同時に今、超自然的な力が、与えられていないのは、神様の知恵であることも思うのです。超自然的な力は、即座の解決をもたらすでしょう。超自然的なわざで人々は恐れ、信じるようになるかもしれません。けれど、そこでは何を信じることになるのか。それを人間が自由に操れてしまうとしたらどんなことが起こってしまうでしょうか。直接的・即効的な力は、私たちには与えられていないかもしれません。けれど私たちは無力ではありません。キリストの力が私たちを覆っているのですから(2コリント12:9)。