月報「流山」より

「キリスト・イエスのしもべ」

2018年10月 牧師 宗形和平


「キリスト・イエスのしもべ、神の福音のために選び出され、使徒として召されたパウロから。」

ローマ人への手紙 1章1節


  朝の祈り会では民数記の学びが終わり、ローマ人への手紙(ロマ書)の学びが始まりました。ロマ書は、キリスト教二千年の歴史で最も大きな影響を及ぼしてきた手紙です。プロテスタント教会の始まりであるルターの宗教改革は、当時の教会が陥っていた腐敗や堕落があったから起こったのですが、より根底には、どうしたら神の前に正しい者として立ち、救いを確信できるのか、という悩みがありました。そしてロマ書の中に、自分で正しさを獲得して義となるのではなく、神がその独り子イエスによって罪人である私を赦し、義として下さるという福音を見出したのです。

 

 ロマ書と他の手紙との違いは、他の手紙がパウロの伝道によって誕生した教会宛てで、それらの教会の人々についても、教会の事情のこともよく知っていたのに対して、ローマはこれから初めて訪ねようとする地だったという点にあります。また、ローマはパウロにとって目的地ではなく、さらに西方のイスパニア(現在のスペイン)への伝道を計画していました(15:23-24)。その伝道旅行を祈り支えてもらうために、この手紙は記されたのでした。そしてその理解を得るために、自分がどのような者で、何を宣べ伝えているかを知らせたのでした。それゆえロマ書は自己紹介のような手紙と言えます。その自己紹介の第一声が、「キリスト・イエスのしもべ(奴隷)」でした。これは謙遜の言葉ではなく、文字通りの「奴隷」…主人に完全に所有され、自分の全ては自分自身のものではなく、所有者である主人のものだということ…であり、その主人はキリスト・イエスなのだ、と書き記したのでした。

 

 このような事情によってロマ書は記され、この書によって私たちは聖書の全体像・福音の全体像をつかめるようにされていることに、神様のご摂理のわざを覚えずにはおれません。この学びによって、「全聖書を理解する扉を開く(カルヴァンの言葉)」ことができますように(祈祷会の説教はCDで聞くことができます、お尋ねください)。