月報「流山」より

「最高の献げものをイエス様に」

2018年6月 牧師 宗形和平


「まことに、あなたがたに言います。世界中どこでも、福音が宣べ伝えられるところでは、この人がしたことも、この人の記念として語られます。」

マルコの福音書 14章9節


  5月20日のペンテコステの日のプレイズガーデンでプルメリアの皆さんが踊りをもって主を賛美してくださいました。そこで語らせていただいたみことばです。イエス様が十字架にかけられる週に、マリアという女性(ヨハネ12:3)が「純粋で非常に高価なナルド油」をイエス様の頭に注ぎました。ところがそれを見ていた人たちから、マリアの行為への非難が起こってしまいました。

 

 マリアという名の女性はたくさん登場しますが、ここでのマリアは福音書に3回登場し、いつもイエス様のそば・足元にいることを特徴とする女性で、私たちの良い模範です。この後、十字架で死なれるイエス様の埋葬の準備のために捧げられた香油(300デナリで当時の年収相当です)は、マリアのイエス様への愛の現れでした。

 

 このことをきっかけに3つのことが起こります。一つは、家中が麗しい香りで満たされたこと。イエス様への愛が捧げられる時、そこには麗しい霊的な香りが満ちることを知らされます。二つ目は、このマリアの行為に対して非難が起こったこと。何という金の無駄使いをするのか、と憤慨したのです。香りなど消えてしまえばおしまい、売れば沢山の貧しい人たちを助けられたのになんて無駄なことを、と。貧しい人たちへの施しは、ユダヤの民にとっては気高いことと見なされていましたので、もっともな言い分・正論です(気持ちはわかる気がします)。それでもここからは、目を釣り上げ、正論を強く語りすぎる人たちの勝ち誇った冷たい人間の姿が目に浮かびます。そしてもう一つ、イエス様はマリアの愛を喜んで受け取り、賞賛の言葉を与えるということが起こりました。イエス様が告げられた通り「世界中どこでも、福音が宣べ伝えられるところでは、この人がしたことも、この人の記念として語られ」るのです。

 

 イエス様に最高のものを献げてゆくことが、私たちの働きの中で最も大きな喜びです。私たちも主が喜ばれることを目指し、みことばに聞き続けたく願います。