月報「流山」より

「賜物を分け合って」

2019年1月 牧師 宗形和平


「私があなたがたに会いたいと切に望むのは、御霊の賜物をいくらかでも分け与えて、あなたがたを強くしたいからです。というより、あなたがたの間にあって、あなたがたと私の互いの信仰によって、ともに励ましを受けたいのです。」

ローマ人への手紙 1章11-12節


  先月のCSクリスマス会、プルメリアのコンサート、そして燭火礼拝、クリスマス合同礼拝には、ミニストリーグループに参加されている方々が来てくださいました。与えられた賜物を喜び用いて、教会に、礼拝に、そしてキリストへと導くための働きが続けられています。時間がかかる忍耐を必要とする務めですが、このようにその実りを見せていただけることは大きな励ましです。

 

祈祷会では今、ロマ書の学びをしています。そして1章8-15節から「賜物を分け合って」という題で語らせていただきました。挨拶に続き、パウロはなんとかしてあなたがたのところへ行きたい、という思いを伝えています(10,13節)。理由はキリストの福音を信じ、神の救いに与る人々が起こされる伝道の実りを得たいから(13節)。ところがその願いや計画は幾度も妨げられます(15章22節)。けれど思い通りにゆかないことの中にも聖霊なる神様の導きを見出していくのです(参:使徒16章6-7節)。

 

上記のみことばは、ローマ訪問の目的で、それは御霊の賜物をいくらかでも分け与え、あなたがた(教会)を強くすることでした。同時に「互いの信仰によって、ともに励ましを受けたい」とも願っています。与えつつ、与えられることの大切さを知らされます。そして聖霊の賜物は特別な人にだけでなく、信仰者全てに与えられていることを覚えたいと思います。

信仰は神様との一対一の関係が大切で、自分と神様との間に誰かを入れてはなりません。同時に、救われた人はキリストのからだである教会の一員とされ、その交わりに入ります。一人で信仰者として生きているなら、自分に与えられている賜物が見えないでしょう。交わりの中で他者の力となり、互いに励まし慰め合う中で自分に与えられた御霊の賜物を実感し、他の人の賜物を喜び感謝できるようになれますように。